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有馬記念の後日譚「袖に振られた、お殿さま」

 
有馬頼寧 氏

有馬頼寧 氏

 旧久留米藩主・有馬家の15代目だった。1924年に衆議院に当選、37年には第一次近衛文麿内閣の農林大臣に就任した。その前年36年には、プロ野球・東京セネタース(現・日本ハムファイターズ)のオーナーに就いている。
 戦後は、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監(無罪、釈放)。そして55年に、かつて勤めていた農林省に招かれ、安田伊左衛門の後任として、「日本中央競馬会・第2代理事長」に就任するのである。
 
 彼は、プロ野球のオーナーだったこともあり、「オールスターゲームのような競馬を開催したい」と、ファン投票で出走馬を選ぶレースを創設した。これが、「中山グランプリ」である。しかし、第1回目を終えた翌年の1月に、急逝してしまう。そこで、頼寧さんの実績を称えて、第2回目からは「有馬記念」として開催されるようになった。以上が、有馬記念創設のあらましである。
 
有馬頼義 氏

有馬頼義 氏

 この有馬頼寧の三男が、頼義(有馬家16代目)さん。ずいぶん放蕩無頼な生活をしたそうだが、30代半ばに『終身未決囚』で直木賞を受賞。のちに勝新太郎の主演で大ヒットした映画『兵隊やくざ』の原作者でもある。また、若手の育成にも積極的で、彼の門下には、色川武大、渡辺淳一、立松和平などがいる。
 
 という、まるでNHKの「ファミリーヒストリー」に取り上げられそうな家系であるが、その頼義さんの長男が頼央さん(有馬家17代)で、現在、東京都中央区「水天宮」の宮司を務めている。「水天宮」は、安産祈願の神社として有名で、福岡県久留米市の「久留米水天宮」の分社。つまり、むかしむかしの有馬家歴代藩主が崇敬していた「久留米水天宮」の分社を1818年に江戸に建立し、その久留米のお殿さまの子孫・頼央さんが、現在は守っているのである。
 
有馬頼央 氏

有馬頼央 氏

 で、この頼央さんが、JRAの態度に嘆いている。
 
「私は小学校にあがってから、毎年、有馬記念に行ってます。アカネテンリュウの時代から記憶がありますからね。有馬記念の日は、JRAから迎えのハイヤーが来て、中山競馬場の貴賓室に案内されました。年末に親せき一同で行ってたんです。父が亡くなっても続きましたが、母が亡くなった年の秋に、JRAの理事と総務部長がやってきて言いました。
 『今年限りでJRAからのご招待は、終わらせていただきます』
え、なんで? って聞いたら、『孫の世代までは、ちょっとご案内できません』と。冷たいでしょ。
とはいっても競馬は好きなので、有馬記念以外のレースもしています。毎年ほかのレースではマイナスなのに、なぜか有馬記念で取り返して、だいたいプラスマイナスゼロになる。不思議ですね。」
via 『週刊朝日』2014年7月25号
 
……ホント、冷たいね。血統を重んじる競馬なのだから、競馬に貢献した人の血統も重んじてあげたらいいのに。有馬記念の日に、ひと家族を招待するのが、そんなに大変なことなのだろうか。それとも、こういう冷たい態度を、連綿と受け継がれる「役人血統」というのかね。
 
2015年第60回を迎える有馬記念

2015年第60回を迎える有馬記念

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