人間なら92歳....”栗毛の超特急”大往生で死す

 
伝説の逃げ馬ミホノブルボンが今月22日に亡くなった.....28歳だった。

ミホノブルボンは、1989年4月25日に北海道門別町で生まれ、1991年9月7日に中京競馬場でデビュー。その年の朝日杯3歳Sを制してGⅠタイトルを手にすると、翌年の皐月賞、日本ダービーを制してでデビューから無傷の6連勝を飾った。

三冠制覇がかかった秋は、初戦の京都新聞杯を難なくクリアし、距離不安を囁かれながらも長丁場の菊花賞に挑戦。結果は、生粋のステイヤー・ライスシャワーに敗れる形となったが、地力で2着を確保し、1992年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出された。
 
ミホノブルボン

ミホノブルボン

父:マグニテュード
母:カツミエコー
母父:シャレー
調教師:戸山為夫(栗東)→鶴留明雄(栗東)→松元茂樹(栗東)
馬主:有限会社ミホノインターナショナル
生産者:原口圭二

通算成績:8戦7勝(7-1-0-0)
重賞成績:朝日杯3歳S(GⅠ)・スプリングS(GⅡ)・皐月賞(GⅠ)・日本ダービー(GⅠ)・京都新聞杯(GⅡ)
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1992年以降は度重なる怪我でレースに出走することなく1994年1月に現役を引退し、その後は日高軽種馬農業協同組合で種牡馬入り。種牡馬としても大きなで期待を寄せられたミホノブルボンだったが、地方競馬の重賞ウイナーを出しただけで中央競馬の重賞ウイナーは出ていない。

2012年に種牡馬を引退し、スマイルファームで余生を送っていたが、今月21日の朝から立つことが困難となり、翌22日の午後6時過ぎに息を引き取った模様。
 
~スマイルファーム代表・中村広樹氏のコメント~
ここ数年ひと冬ごとに体がさみしくなっておりました。ファンからも、たくさんの贈り物をいただき、本当に愛された馬でした。ご冥福をお祈りいたします
 
サラブレッドの寿命が約25歳とされるなか、28歳まで生き抜いたミホノブルボンは人間で例えると92歳になる。これは十分に大往生を務めたといえる。
 

天国で待つライバルと相棒のもとへ

 
1992年の二冠制覇から25年がたった今、同世代のライバルホースで三冠の夢を打ち砕いたライスシャワーも、デビューから全戦でコンビを組んだ相棒の小島貞博騎手も、スパルタ調教で強靭な馬体の”サイボーグ”に変えてくれた戸山為夫調教師もすでにこの世にはいない。

見事に28歳の大往生を務めたミホノブルボンは、先に盟友が待つ場所へ旅立ったのだろう。
 
ミホノブルボンVSライスシャワー

ミホノブルボンVSライスシャワー

三冠最終戦の菊花賞は、1番人気ミホノブルボンと2番人気ライスシャワーによるデッドヒート。結果は、長丁場を得意とするライスシャワーが制したが、距離不安を囁かれていたミホノブルボンはなんとか2着を死守。

後にライスシャワーは天皇賞(春)を2勝し、今もなお語り継がれる伝説のステイヤーとなった。
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デビューから全8戦でコンビを組んだ小島貞博騎手と徹底したハードトレーニングで知られた戸山為夫調教師(左から3番目)。

小島騎手は引退後に調教師へ転身したが、2012年1月23日にこの世を去った。自殺だった。

一方の戸山調教師もミホノブルボンが二冠制覇を遂げた翌年1993年5月29日に食道癌のため他界。
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最後に

 
デビュー前のミホノブルボンは、本質的に短距離馬であり、過去の名馬と比べても全く目立つ存在ではなかった。調教師である戸山師も「本来はスピードのみに恵まれた天性のスプリンター」も語っていたが、「ハードトレーニングで強い馬を作る」という信念のもと、坂路コースで徹底的に鍛え上げた。このハードトレーニングが功を奏し、ミホノブルボンはサイボーグのような強靭な馬体を手に入れ、圧倒的な逃げ足を武器に二冠制覇を成し遂げたのだ。
 
筆者は残念ながらミホノブルボンと同じ時代を歩めたわけではないが、当時を知る競馬ファンは今でも「史上最強馬」と語る人は少なくない。ミホノブルボンが日本競馬にもたらしたものは多く、これからも永遠に語り継がれるだろう。

天国でも盟友と共に元気に力強く走り回ってほしい。ミホノブルボン、お疲れ様でした。

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